昨日ブログに書いた“腫れ”は、わずかに引いた感じ。執刀医の先生からは、またメールが届いた。
曰く、「自転車に乗ったり勃起したりと圧が高まった時に浮腫みが出るのは普通のこと、あまり心配しなくてもよいですよ」と。
こういう一言が、嬉しい。もちろん生まれて初めての経験なので、どうしても不安になってしまうから。
ところで、邪魔な皮がなくなってから、文字通り生まれ変わったような感覚がジワジワと湧き出てきて、昔に比べて「自信」がついてきていることが、よくわかる。
しかし、この「自信」って、一体何だろう?
それは、ただあそこの見てくれがよくなった(まだ腫れてるけど)とか、銭湯で堂々と歩ける、とか、普段しゃがんだ時に皮がかぶって、惨めでじゅくじゅくと不衛生な感じになっていることを気にしなくてよい、とか、女性の前でコンプレックスを持たなくてよい、とか、もちろんそれもあるけれど、多分そんな単純なことではないと感じている。
では、その「自信」の正体は何か?
それは、よくわからない。でも今感じているのは、まず今回、よく調べ、よく考え、そして大きな決断をした。そして、その目標に身近な人や、理解者を得て、その日をベストな体調で迎え、そして手術を乗り切った。
多分、そういう一連のことができたという「自信」なのだと思うのだ。
もちろん大きな病気に比べて大した手術ではないけれど、歯医者だけで震え上がる情けない自分が、自ら企画し、調べ、協力も得て、そして決断し、実行した。そのこと事態、自分ではとても大きな自信になったようなのだ。
さらに、今回の理由の一つだった、妻を一生男として、力強く抱き続けたい、という、なんか一見青臭い、バカみたいなモチベーションも、自信につながっているのを感じる。多分、そういう「生」や「性」や、「精」という、人間の根幹の部分のエネルギーのみなぎりを感じているからなのだと思う。
人としてエネルギーを持ち、そして目標を立て、行動して実現する。何をやるにも、これが必要で、今回のたかが包茎手術が、私を50代にして生まれ変わらせてくれた感じがするのだ。大袈裟に聞こえるだろうか。でも、私は、本気でそう思う。
今、手術を悩みながらこのブログに辿り着かれた方がもしいらっしゃったら、見てくれ、メンツ、衛生面だけでなく、そういう「自信」が沸き始めている人もいるのか、と参考にしていただければと思う。
ただ、人、それぞれ。そして、まずは納得がいかないうちは絶対に勢いで手術しないこと。世の中には色々危ないものもあるようだ。
そのことだけは忘れずに、自ら調べ、考え、仲間を得、行動する(やはりやらない、という決断をする勇気も大事)、そんなよいきっかけになればよいと思う。