輝け!五十路男!〜五十代からの「包茎手術」挑戦記〜

お仲間必見!男50代 包茎手術に挑戦しました!

術後7ヶ月と27日ぐらい ズル剥けと平和 

今年の漢字は・・・

術後7ヶ月と27日ぐらい。

今年もまもなく終わる。今年の漢字は「金」で、読みはキンまたはカネだそうだが、私がファンの方のブログでは「諦」なのだそうだ。

諦める、とは、一見ネガティブな言葉だが、実は何かを諦めることが、平和や、大事なものの気づきにつながっているのかもしれない、と思わされる内容だった。

さて、私の今年の漢字はなんだろう。やはり、考える間もなく「剥」で決まり、だろう。

50代にしての決断、一皮「剥」けて、自分ながらによくやったな、と感慨深い気持ちで年末を迎えている。包茎手術やって本当によかった。50代にして、こんなスッキリと気持ちのよい心の状態になれるとは思っていなかった。

自分の選択は正しかった。そして、その後の情報収集の努力も身を結んだ。手術のセンパイ、そして手術直前に応援メッセージをいただいた方、こんな方々に巡り会えて(会ったことなんてないのだけれど笑)、こんなに助けられるとは、思ってもいなかった。素直に、心からお礼を言いたい。忘れられない一年になった。

平和を考える

その点、今、とても平和な心持ちだ。しかし、まじめな話、近くの国、遠くの国で今起きていること。そして私たちの国でも起きている、世界中に蔓延しているとも感じさせられる、これまでだったら変だとされたことが大手を振って歩く、奇妙な空気感。これには、心がザワザワしっぱなしだ。

今全世界で起きている理不尽で不幸なことは、何か動物としての人類のネガティブな退化?の最中のようにすら感じることがある。

シンプルに思う。何かできないのか、と。世界情勢は変えられないが、まずは、身の回りの雰囲気を少しでも平和に、明るくすることはできるんじゃないかと。

包茎手術経験者こそ、平和のリーダーになれる!?

ここから、半分ふざけて、半分まじめに書くと・・・

包茎手術経験者は、平和のために果たせる役割があるんじゃないか、と思う。

今の社会のこの気持ち悪い感じの正体はなんなのだろうとよく考えるが、そのひとつは、自分「優先(ファースト)」を堂々と掲げ、違う価値観の人を攻撃して分断を煽る人たちにせよ、既存の権威に一泡吹かせてやったとうそぶく人たちにせよ、なぜか「自信の無さ」を感じるからのような気がする。

その正体は何なのかわからない。でも、分断を煽る行為というのは、自信のない人がする行為にしか思えない。自信があれば、人をことさら責める必要もなければ、わざわざ分断する必要もないから。

おっと、包茎と平和がなんの関係があるかに戻るが、その「自信」と関係がある。

包茎の時の気持ち

包茎の時は、やはり自信がなかった。そしてやはり卑屈になりたくない自分もいて、色々な言説を信じて、自分の状態を正当化しようとした。

日本人の何割が包茎だからこれでいいんだ、見てくれのために体にメスを入れる行為はよくないことだ、ズルムケの男は自信過剰で、どうせ女をおもちゃのように考えるロクでも無い奴らに違いない、包茎手術なんて、悪徳業界の企みにまんまと乗せられているだけだ、などなど・・・

そう。自信の無さが、ただ謙虚に気が弱くなるだけでなく、暗〜くネガティブで、人を批判する、そして、ある意味、逆に、攻撃的な発想になっていったことに気づいた。

剥けてから・・自信と謙虚さのバランス

そして、ズル剥けになって・・・

自分の気持ちはどうなったか。自信満々になるかと思った。しかし、そうはならなかった。「自分は元々コンプレックスの持ち主で、それを努力で克服しただけだ」という気持ちから、「謙虚さと自信のバランス」がちょうどよい塩梅なのだ。

もちろん人によって違うだろうが、私の場合は、ずっと包茎のままだったら、上記のようなネガティブ思考だった。また、仮にずっとずる剥けだったら、包茎の人の気持ちは考えもしなかっただろう。バカにさえしていたかもしれない。

しかし、包茎とズルムケの両方を知る私は、悩みと清々しい気持ちの両方を知っていて、それゆえ、「謙虚さと自信のバランス」が取れている気がするのだ。今包茎手術をしようか悩んでいる人たちに、何か明るい参考情報を伝えられればな、と本気で思ったからこそ、こうやってブログを続けている。

自分で言うのは、それこそ謙虚さが足りないけれど笑、強く、優しくなれた気がする。包茎手術経験者が平和のリーダーになれるかも、と書いたのは、そういう気持ちからだ。

「剥き身」の自分

今年、あそこを曝け出した自分。来年も、「剥き身」で自分の内面もどんどん曝け出していこうと思う。

でも、気持ちの悪いやたらポジティブな人間にはなりたくないし、なれないだろう。「心の包茎(=自分を隠し、ジメジメ)」になる時もあるかもしれないが、やっぱり、そんな葛藤を曝け出したり、隠したり、相手に与えたり、もらったり。多くのことや人に触れて、残りの人生を楽しんでいこうと思う。

人生、自由に動ける時間はそんなに残ってはいない。動けなくなるまで、とにかく人生を楽しもうと思う。

今年お世話になった皆様、本当にありがとう。来年も奇妙で変態であったかい話を聞けるのを楽しみにしています。そして、私は性生活でも、変態にちょっとチャレンジしようと思ってます笑

よいお年を!